朝ドラ「ブギウギ」に蒼井優さん演じる大和礼子のモデルとなっているのが実在した飛鳥明子さんと言う方です。
ここでは大和礼子のモデルとなった飛鳥明子さんについて【画像】も含め丸ごとご紹介します。
▼この記事で分かること
- 「ブギウギ」大和礼子のモデル/飛鳥明子のプロフィール
- 「ブギウギ」大和礼子のモデル/飛鳥明子ってどんな人?
- 「ブギウギ」大和礼子のモデル/飛鳥明子の生涯
- 「ブギウギ」でも描かれた大和礼子のモデル/飛鳥明子が関わった「桃色争議」について
ぜひ最後までご覧ください。
朝ドラ「ブギウギ」大和礼子/蒼井優のモデルは飛鳥明子!【特定】
朝ドラ「ブギウギ」で蒼井優さん演じる「大和礼子」は梅丸少女歌劇団(USK)第1期生・娘役でスズ子(趣里)が憧れる先輩です。
「大和礼子」のモデルとなったのは大阪松竹歌劇団の前身・松竹楽劇部で娘役トップスターだった飛鳥明子さんです。
大和礼子のモデルは飛鳥明子だとNKH側は公式に発表していませんが数々の「合致点」と現在お孫さんにあたる方のX(ポスト)があります。
NHKが公式にモデルと発表しているのは、こちらの3人です。
福来スズ子が笠置シヅ子さん
羽鳥善一が服部良一さん
茨田りつ子が淡谷のり子さん
それ以外は参考にさせてもらって…と言うことですが、飛鳥明子さんが大和礼子さんの参考以上にやはり、モデルになっていると思える事柄がこちらです。
▼大和礼子と飛鳥明子の合致点
大和礼子 | 飛鳥明子 |
梅丸少女歌劇団(USK) | 大阪松竹歌劇団の前身・ 松竹楽劇部 |
トップスター | トップスター |
ダンスの神様 | ダンスの神様 |
ストライキで引責退団 | ストライキで引責退団 |
楽団のミュージシャンと結婚 | 楽団のミュージシャンと結婚 |
一人娘あり | 一人娘あり |
若くして病死 | 若くして病死 |
そして何より、飛鳥明子さんの娘さんの息子さん=飛鳥明子さんのお孫さんである方がX(旧Twitter)でこのような投稿をされています。
飛鳥明子ブキウギでは大和礼子さんのモデル
一人娘の母嘉子と新聞記者とのインタビュー 飛鳥明子の写真を持って撮影に応じる母🤱嘉子 pic.twitter.com/cBfzXMv81U— 土井孝司 (@7XPtUuUoOiiZJhX) October 31, 2023
お孫さんのXプロフィールには次のように記されています。
祖母がOSK日本歌劇団初代トップスターで祖父が宝塚音楽学校の指揮者兼ギタリスト
NHKが公式発表せずとも、蒼井優さんが演じた大和礼子のモデルとなったのは実在した飛鳥明子さんであることは間違いないようです。
【画像】大和礼子のモデル・飛鳥明子のプロフィール
大和礼子のモデル・飛鳥明子さんは1907年生まれです。
朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン・趣里さん演じるスズ子のモデル・笠置シヅ子さんより7歳の年上です。
- 飛鳥明子
- 生年月日:1907年(明治40年)12月14日
- 没年:1937年(昭和12年
- 出身地:大阪府
- 実家:大阪府高石の開業医
- 学歴:大阪・金蘭会高等女学校
- 松竹楽劇部入団:1922年(大正11年)
- 特技:クラシックバレエ
とても恵まれた環境で生まれ育った方なんだというのがわかります。
【画像】大和礼子のモデル・飛鳥明子の人物像
大和礼子のモデル・飛鳥明子さんは「トゥダンスの達人」「トゥダンスの名手」と呼ばれていました。
バレエの実力は当時、日本一だと言われるほどの方で、舞台では圧倒的な存在感があったと言われています。
▼趣里演じる福来スズ子のモデル・笠置シヅ子さんが『東京ブギウギ』が大ヒットしたあとにこのように飛鳥明子さんについて語っています。
《私、飛鳥さんにとてもかわいがられたものですから、いまだにいろんなことが耳に残っています。それが私の舞台に立っている一生に、どれだけ役に立っているかわからないです》(『芸術新潮』1950年7月号より)
引用:週刊女性PRIME
▼水の江瀧子(1915年-20009年)
1928年に東京松竹楽劇部第1期生として入団。(宝塚歌劇団より早く)少女歌劇で初めて断髪し、男役として絶大な人気を博し、「男装の麗人」と言われた。
松竹退団後は映画プロデューサー、タレント、女優としても大活躍し、昭和の時代に「ターキー」または「おタキさん」と呼ばれ親しまれていました。
日本のタレントで初めて生前葬を行ったことでも知られている方です。
大和礼子のモデル・飛鳥明子さんが活躍した大正時代にはなかなかバレエのトゥシューズが手に入りませんでした。
そこで飛鳥明子さんは手製のトゥシューズを履いて練習していたと言われています。
そして練習熱心だったこともあり、トゥシューズの爪先から血がにじんだ状態でも練習をしていたと伝えられています。
「トゥダンスの達人」と言うのもこんな努力があってのことなのでしょう。
【画像】大和礼子のモデル・飛鳥明子の生涯
大和礼子のモデル・飛鳥明子さんは松竹楽劇部退団後、結婚、出産と幸せな人生を送っていましたが、1937(昭和12)年に29歳の若さで亡くなっています。
ドラマのストーリとは、関係ありませんが、、
飛鳥明子さんは、桃色争議で退団後、楽団のギター・マンドリン奏者 片野實雄さんと結婚、一子もうけます。
そして桃色争議から4年後…… pic.twitter.com/bbxIaUstJg
— 野田 誠 (@makoto_noda) October 23, 2023
▼大和礼子のモデル・飛鳥明子さんの松竹楽劇部入団からの生涯のまとめはこちら
- 1922年に松竹楽劇部に入団し、1933年に「桃色争議」が理由で退団しています。(「桃色争議」については次の項で触れていきます)
- 結婚:退団後、楽団員楽団のギター・マンドリン奏者・片野実雄氏と結婚。
- 松竹楽劇部復帰:結婚後、振付師として後輩の育成に携わる
- 出産:娘1人嘉子さんを出産
- 1937年夏死去:29歳のとき、娘・嘉子さん8か月の時に腎臓炎で病死
飛鳥明子さんとご主人の片野実雄さんとは松竹楽劇部の団員として知り合ったと思われます。
2人は在籍中から帰りは一緒に電車で帰るなどして親交を深めていったのではと言われています。
一人娘の嘉子さんが8か月の時に病死されたということです。
元々持病があった中でのお産で体調を崩した説や産後の肥立ちが悪かった、また死因は「結核」など言われていますが、当時の新聞で死因は「腎臓炎」と記載されています。
さて次に飛鳥明子さんが松竹楽劇部を退団した理由となった1933年に起った「桃色争議」について触れていきます。
「ブギウギ」でも描かれた「桃色争議」とは
朝ドラ「ブギウギ」で大和礼子が梅丸少女歌劇団を退団した理由は「「桃色争議(桃色労働紛争)」でした。
実際に1933年に松竹少女歌劇部・松竹歌劇部で起こった「ストライキ」のことです。
大和礼子のモデル・飛鳥明子さんも同じくこの時の責任を問われ退団しています。
▼このストライキでの団員側の主な要求のまとめ
- 最低賃金の制定、定期昇給の実施
- 退職金の支給
- 女性専用の寝具やトイレの設置
- 休憩室や楽屋の改善
- 医務室の設置や生理休暇の設定
- 怪我の治療費の負担や給与の保証
現代社会においてだと要求して当たり前、これが改善されていないのかと思う内容です。
1933年、昭和8年のことですから、女性の地位もまだまだ低い時代のことです。
逆によく、ストライキを起こしたという印象です。
大和礼子(蒼井優)/飛鳥明子がどう関わったか?
「桃色争議(桃色労働紛争)」と言われたストライキは東京の松竹少女歌劇部と大阪の松竹楽劇部でもそれぞれ団員たちが立ち上がり、双方に争議団長(リーダー)が存在しました。
▼桃色争議の争議団長(リーダー)
- 東京の松竹少女歌劇部リーダー:水の江滝子(当時18歳)
- 大阪の松竹楽劇部リーダー:飛鳥明子(当時24歳)
東京・少女歌劇団の部員たちは、リーダー水の江瀧子さんと共に約230名の劇団部員が神奈川県・湯河原温泉郷の旅館に立てこもりました。
またその情報が入り、大阪でも飛鳥明子さん率いる松竹楽劇部70余名の部員が高野山の一宇に立てこもりました。
1933年6月28日のことです。
この飛鳥明子さんたちの高野山の立てこもりには朝ドラ「ブギウギ」のヒロインのモデルとなっている笠置シヅ子さんも参加しています。
このストライキで水の江滝子さんは一時、解雇、警察庁に検挙される(18歳で未成年だったこと、大人気スターだったことですぐ釈放)などすったもんだの中、その後の交渉により最終的に2か月の謹慎処分になりました。
飛鳥明子さんは引責退団となりますが、その後は後輩の育成尽力のため再入団されています。
「最低賃金の制定、衛生設備の完備、公休日の制定」の要求が通った結果となり争議団の勝利となります。
このストライキの結果は世論が団員側の味方になったことで後押しとなり、要求のほとんどが認められることとなりました。
桃色争議が幕を閉じたのは1933年7月15日のことでした。
まとめ
朝ドラ「ブギウギ」の蒼井優さん演じる大和礼子のモデルと言われているのは松竹楽劇部の当時トップスターだった飛鳥明子さんです。
松竹楽劇部のトップスターと言うだけではなく、女性の地位向上でも勇気をもって行動し、大きく貢献した方でした。
また若くして夢なかばだったでしょうが亡くなられていることを改めて思いを馳せドラマ「ブギウギ」を見たいですね。
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